What is hope?
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。
- 新約聖書 -
人は誰しも、さまざまな夢や希望を持って生きていると思います。将来こういう仕事をしたい、この分野で成功したい。あるいは素敵な人と結婚して、幸せな家庭を築きたい、子供が産まれたらこのように育てたい、等々。明確な希望を持つことは、人生に張りを生じさせ、生きがいとなります。
でも、人生はなかなか自分の思い通りにはいきません。人の希望は、いろいろな事情によって失われることがあります。仮にその希望がかなったとしても、どこか満たされない思いを抱くこともあるでしょう。ですから、ある時点でその現実を受け止めて、日常のささやかなことに喜びを見出そうとする人も多いと思います。
しかし、仮に望むような生き方ができたとしても、死という問題に直面したとき、その先の希望はすべて失われることになります。死は、どんな人にも平等に訪れ、あらゆるものを奪っていく残酷なものです。いつか死んでしまうのに、なぜ人は生まれてくるのだろう? そのように考えたりすることもあるはずです。もしその答えが見つかるなら、私たちは人生の意味を理解し、本当の希望を見出すことができるのではないでしょうか。
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」(イザヤ書 43章 7節)
これは聖書のことばです。「わたし」とは、創造主である神のことです。
聖書は、あなたがこの世に生まれてきたのは偶然ではない、神が明確な目的をもって造ってくださった、と語ります。それはつまり、人間一人ひとりは神の作品であり、その神から愛されている尊い存在ということです。
さらに聖書は、もうひとつの大切なことを私たちに伝えています。それは、いつか訪れる死そのものを避けることができなくとも、その先に、神のもとへと帰る道が備えられているということです。いのちは神から発しているのですが、そのいのちの行き着くところもまた神なのです。
もしあなたが死というもっとも厳粛な事態に直面することになっても、失われない希望があるとしたら、それこそ真の希望と呼べるのではないでしょうか。
聖書は、その希望の根拠となるイエス・キリストについて詳しく書かれている書物です。当集会では、その聖書からさまざまなお話をしています。ぜひ一度、お気軽にお越しください。
「かつて書かれたもの(聖書)はすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、……私たちが希望を持ち続けるためです。」(ローマ人への手紙 15章 4節)